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【WEB】「人生会議」の対象者はもっと幅広い


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死にゆく当事者無視「危ない人生会議」とは何か | 家族会議のすすめ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

以前、ACP(Advance Care Planning)の通称が「人生会議」になるという事を取り上げました。わたし自身、医療従事者としてこの取り組みは非常に大切な取り組みだと思います。

 

今回のこの引用記事ではがん末期の緩和医療における人生会議が扱われています。内容に関しては完全に同意なのですが、これから人生会議が必要になるのはがん患者だけじゃなく別の人たちも、あるいはその人たちのほうが増えるのでは?という疑問から記事にしてみました。

 

これからの医療対象者

がん患者、循環器(心臓や肺)の病気になる人が増えていくことはすで予測されています。高齢化社会を迎え、高齢になればなるほどこうした病気が増えるのも明らかです。

 

ここで大事なのはその年齢です。団塊の世代が徐々に80代に向かっていくと、もう1つの問題が出てきます。それは認知症です。2025年には高齢者の4人に1人が認知症になるとの予測もあるくらいです。

 

わたしが働いている医療機関では、療養型病床があります。入院されている方々の平均年齢は80代後半であり、ほとんどの患者さんが重度の認知症です。

 

認知的にしっかりした緩和ケアを求める患者さんも今後増えることは間違いありませんが、同時にそれよりも多くの高齢者ががん疾患などとは違う流れで終末期を迎える可能性が高いのです。

 

人生会議の意味合い

例えば施設に入っていて転倒し、骨折で手術。その後肺炎を合併し入院。せん妄を繰り返し、認知面が低下。栄養状態も悪くなり全身の筋力が衰え、口からも食べられなくなった。そんな患者さんの人生会議の意味合いはどうでしょう?

 

がん疾患などでまだ認知がしっかりしている方との人生会議とは全く意味合いが異なってくるのは明らかです。本人に意思を確認するのも難しい時、どのように人生会議を取り扱えばよいのでしょう?

 

人生会議は家庭でされるべき

上で紹介したようなケースでも、医療機関では人生会議が行われはじめています。患者さん個人の人としての尊厳とか、家族の思いとかをしっかり把握した上での医療者と家族の対話が重要視され、そこから余生をどう過ごすか?医療機関は何をどこまで提供するかが話し合われます。

 

しかしながら、本来この手の話は家族間で話されておくべき問題だとわたし個人は考えています。そんな話できないよという声も多いのは承知ですが、わたしはすべきだと考えています。

 

医療機関が入って行うことによる意味合いはもちろんあります。実際に入院してみれば、素人にはわからないことも多いでしょう。しかし、それらを判断する上でも「自分はどんな最後を迎えたいか?どのようなケアを受け入れる、または拒否するのか?」という判断基準になる基本的な話し合いは必要だと思います。

 

厚生労働省かアピールすべき対象

元気なうちに死ぬことを話し合うのは陰気臭くて嫌だという考えには同意します。でも、生命保険の契約時には、何度も仮定で殺された経験がないでしょうか?

 

わたしは保険の話をしている間に、いろいろな仮説パターンで殺されたり病気にされました。(笑)夫婦ともに医療従事者ですし、ある時は自らパターンを考えたこともあります。

 

でもそういうことなのです。仮にこうなったらどうするか?そのような話をすることは将来を考える際にどこかで必要になります。

 

保険会社のようにあおる必要はありませんが、厚生労働省は人生会議についてもっと国民にアピールすべきです。

 

診療報酬の改定による患者さんへの影響も国民に説明しない厚生労働省なので、あまり期待はできませんが、まだ間に合います。終活の流れの中に組み込めばいいと思います。

 

人生の最後は流れで決めればいい?

人生会議などの事前の話し合いのない場合にどのようなことになるか例を挙げておきます。

 

口から食べられなくなったら、鼻から管またはお腹に管を通し流動食を入れる。

認知症でよく分からずに勝手に点滴を抜いてしまうため、ミトンという手指が使えなくなる鍵付き手袋をされる。

認知症でベッドから落ちる可能性があるため、ベッドを柵で囲まれ最悪手足を縛り付けられる。

 

極端な例を挙げました。医療機関ではこうしたケアを自ら見直しているところも多いのですべての医療機関がこうだとは思わないでください。

 

不安にさせるつもりはないのですが、そうしたケアを受けるのが嫌か嫌じゃないかを自分自身で決めておきたくはないですか?

 

どう死ぬかはどう生きるか

医療従事者として死を面前にした経験が何度もあります。その度に「自分はどう死にたいか?このような死に方がいいのか?」を考えざるをえません。また家族ができてからは、「家族に迷惑をかけたくない。」という気持ちも出てきました。

 

わたしの場合、偶然に妻も医療従事者ですから、そのような話は抵抗なくできます。自分の両親ともしっかり話をしています。

 

そうした話を通して感じるのは、では今をどう生きるか?ということに繋るということです。生きている自分の人生には必ず死が訪れます。自分かどう生きるかを考える上で、どう最後を迎えたいか考えるのは良い機会だと思います。

 

人生会議というものが、特別なものではないということを知っていただきたいと思います。

 

Life is the dancer and I am the dance.

 

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