ボンヤリズム

Life is the dancer and I am the dance.

【WEB】毎年100人を看取る医師が明かす「憧れた最期・嫌だと思った最期」 上手に死ぬのは健康長寿より難しい 

毎年100人を看取る医師が明かす「憧れた最期・嫌だと思った最期」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)

 

仕事柄、昨日まで元気だった患者さんが次の日に亡くなっていたことなんてよくある話だし、自分の目の前で亡くなっていく過程を見守った患者さんも数は少ないがある。自分の祖母も自分が勤める医療機関で亡くなったが、亡くなる瞬間を見ていた。

 

人が死ぬ。それはどうしようも避けがたい事実だし、現実だし、当たり前のことなんだけど、実はその場面に一緒に入れることは非常に少ない。

 

その死に方をどうするか?そのことは意外と人は考えることを避けている。自分が死ぬなんてことが現実味がないからだろう。自分の両親もそうだ。

 

現実問題として僕の職場で起こる様々なケースを両親に話をする機会はあるけれど、両親ともに「私たちはピンコロだから。」みたいなことを言う。もう笑うしかない。ピンコロで死ねる人なんてわずかな確率だ。

 

 だから最期はどうしたいのか?そのことをしっかり話し合うことさえままならない。受け入れられないんだろうな。僕の両親には。

 

僕自身はできたら自宅で死にたいと思っている。生かされるのだけは勘弁してほしい。

 

ちなみに僕の母方の祖父は、胃がんと診断された。余命半年。その半年の間に自分の葬式の準備から墓の準備まで全部整えて、「何の治療も拒否する。」と言って自宅で静かに息を引き取って、自分が手配した葬儀屋が迎えに来て自分が望む葬儀をして、誰にも手をかけさせずにこの世を去った。

 

僕は実はその祖父とは血がつながっていないのだが、死に方の格好良さは手本にしたいと思っている。こうして死ねる人は、間違いなくしっかり生き切った人だと思う。

 

死を押しやらずに、自分の身近なことととして考える。

 

人は必ず死ぬし、5分後に死んでいるかもしれない。

 

死を考えながら生を考えるためにも死に方は常に考えておきたい。

 

Life is the dancer and I am the dance.

 

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