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【WEB】目標倒れに終わる人は「設定」を間違えている 東洋経済Onlineの記事より

目標倒れに終わる人は「設定」を間違えている | アルファポリス | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

目標設定におけるSMARTは基本中の基本だと思うが、うちの職場ではまだまだ理解に疎い。折に触れてこうした概念の解説を試みているがなかなか「具体的である」事の意味がつかみにくいスタッフが多い。

 

僕自身は実は目標設定というのが大嫌いだ。たぶんこのブログでも何度も書いていると思う。

 

目標設定自体がいけないものだとは思わない。どちらかというと目標だけが独り歩きしている風潮がすごく嫌いなのだ。

 

目標と言うものが本来の意味を発揮するのは目的を持った時だと思うのだ。

 

先日大学受験を控えている甥っ子と話をしていて、煮え切らない会話になったことを例に出そう。

 

僕:行きたい大学とか決まったの?

甥:うううん。まだ。模試的には〇〇大学とかは行けそうだけど。

僕:すごいじゃん。そのレベルなんだ。で、どんな医者になりたいの?

甥:うーん。別に。

僕:ないの?医者の仕事ってどんな仕事があるのか知ってる?

甥:なんとなくは。

僕:本当に医者になりたいの?

甥:一応。

 

なんとも煮え切らない会話である。一応、僕は医療従事者で医療については部外者よりはよくわかっているので、何か応援できればなと思ったのだが話が続きさえしない。(笑)思春期特有のものなのかもしれないが、この会話に大事な要素を感じる。

 

彼は勉強するために高い偏差値である〇〇大学の医学部を目標にしているのであって、こんな医者になりたいから〇〇大学の医学部に入るという目標を持って勉強しているのではないということだ。

 

僕は伯父として大きな危機感を一つ感じるのだ。「目的」の欠如である。

 

「こんな医者になりたい」という目的が明確ではないのだ。この目的がない限り、意味のある具体的な目標は描けない。目的になしに仮の目標を設定したとしても、身のはいらない形骸的な目標になりがちだ。その場合、甥っ子が入りたいレベルの大学に入れなかった場合の今後が心配になる。

 

要は目的ありきの目標であって、何が目的かの熟慮なしの目標には義務感しか伴わないのだ。

 

マネジメントをしていてこの目的の提示が非常に大事だと感じている。その上で目標を考えていかないと、各人の目標がぶれるし普段から目標を意識できない。

 

今年度は目標管理制度を導入したのだが、その辺が実はまだ甘い。来年度2回目の制度継続に向け、明確で強烈な組織の目的を検討しているところである。

 

まあ、僕も高校生の時は目的も目標もなーんにもなかったので、甥っ子の方が100倍偉いけどね。(フォロー)

 

Life is the dancer and I am the dance.

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