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【WEB】要介護状態になっても自分らしく生活できる「地域包括ケアシステム」の進化 ダイヤモンド・オンライン記事より

要介護状態になっても自分らしく生活できる「地域包括ケアシステム」の進化 | 医療・介護 大転換 | ダイヤモンド・オンライン

 

僕は医療機関に勤めていて、まさに来年度の診療報酬と介護報酬の同時改訂にドキドキしているのだが、実際にこうした話題を一般の人がどれくらい把握しているのかよくわからない。

 

この業界に来てからひしひしと感じるのは、医療や介護においてすごく大事になる「死生観」が意外に一般の人はもちろんのこと、医療従事者や介護従事者の中でもさほど考えられていないということである。

 

いかによりよく生きるかを考える時代から、いかによりよく死ぬために今を生きるか?という「死」を前提にした医療や介護が語られなければ本質に届かない議論になる。厚生労働省はまさにそこまで踏み込んできているわけだ。

 

高度成長期に、文化住宅とか三種の神器と囃し立て、田舎から人を都会に移させマンションを一杯作り隣の人の顔も知りません状態を作り、核家族で家族を細分化し、結婚しない世代を生んだが子供は生まれず...のように解体された「地域性」を、ある意味国が制度でもって復活させようとしていると考えると、まあ何ともその時その時でやることめちゃくちゃやな。と感じてしまう。

 

しかし、国だって時代の流れは読めなかったということだ。

 

僕の両親が将来をどう考えているか尋ねたことがある。自分の病院にいる様々な容態の患者の様子を伝え、そんな風になったらどうして欲しい?と。父親の返事は「大丈夫だよ。死ぬときはコロッと死ぬから迷惑かけない。」母親の返事は「私はぼけるからあなたが世話してね。あなたには苦労させられたんだから。」であった。

 

父親は全く理解していない。(笑)理解したくないのかな。良くも悪くも我が家(嫁方は除く)の家系はなぜかピンコロに近い状態で最後を迎えている。なので実感がないのだと思う。

 

自分の両親を思うと同時に考えてしまうのが自分のことだ。娘たちに自分たちの老後の面倒を看させるのはいやだ。それが生きがいなんかにされても困るし、迷惑はできるだけかけたくない。

 

でもねサ高住だってお金かかるんだよね。不安だよ。

 

いずれにしても国民の意識が変わっていく必要がある中で、制度だけがまずできていくということに現場で働くものとして違和感はある。制度が変わって「なんでやねん!?」と突っ込まれるのは現場なんでね。(厚労省の人が説明しに来てくれればいいのに。)

 

まずは死生観から。そして制度をちゃんと知ること。これからの介護は他人事じゃない。

 

Life is the dancer and I am the dance.

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