ボンヤリズム

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【WEB】「延命治療」を親に強いるのは圧倒的に50代息子が多い理由   ダイヤモンド・オンラインより


「延命治療」を親に強いるのは圧倒的に50代息子が多い理由 | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン

 

何とも誤解を与えそうなタイトルだが、この医師が実感として感じるのならそうなのだろう。実際、僕は病院に勤めていて、この延命治療について考えることが多いのは確かだ。

 

延命の是非に答えはないけれど、やはり本質的に多くの現代日本人が失っているものがある。それは死生観である。

 

武士道の世界までは行かなくても、人間として生まれたからには必ず死ぬわけなんだが、案外そのことについて他人事な人が多いような気がする。極端な話じゃなくて、明日死んでるかもよ。僕だって。

 

僕は病院のベッドで寝た切りになった老体の患者さんをみながらいつも心の中で問うことがある。「あなたは本当にこういう最後を望んでいたのですか?」しかし、その答えはいつだって「そんなのその時になんなきゃ分からないよね。」である。

 

普段の生活は「生きる」過程そのものだが、よく考えれば僕ら望んで生まれてきたわけじゃない。同様に望んで死ぬわけじゃない。生まれ方も、死に方も選べない。

 

今の生き方の過程で、ほんの少し自分で選んでいるかのような錯覚の中で生きている。そのことに多くの人がもっと気が付くべきだ。僕らは生きているんじゃなくて、生かされている。

 

その観点から死を見つめてみれば、自分なりの死の在り方が少しは輪郭づくられるのではないだろうか。あなたは死ぬ際に自分の死に方を選べない。

 

だから50代の息子が延命治療を親に強いても強いなくても、どちらも正解だ。それこそ、大事なのは元気なころから子供たちと死生観について語ることである。

 

日本の医療介護制度は世界に誇れる制度であり、記事の最後に述べられているマネジメント的発想は十分に生かせる素地はある。社会的なサポートの中で、死が多くの人に支えられて迎えられる制度はある。

 

しかし、最後にものを言うのは、自分の死生観が考え抜かれ、それがちゃんと家族に伝わっているかどうかだ。それによってマネジメントだって変わる。

 

震災後、多くの人が死について考えたはずだ。病院ではそれが日常茶飯事に発生する。年齢は関係ないだろう。逆に歳を取ってから亡くなれば、それだけ思い出される生が苦しみの種になる可能性もある。若くしてなくなっても、十分な死生観のもとに美しく爽やかになくなっていく人もいるだろう。

 

さて、あなたはどのように死にたいか?

 

Life is the dancer and I am the dance.

 

 

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