ボンヤリズム

Life is the dancer and I am the dance.

【仏教】過去への恨みを解消する方法 大愚和尚動画より


過去への恨みを解消する方法

 

今回の相談者は自己洞察力があって、相談する上で自分自身の問題を的確に捉えている。そういう意味で、和尚がどのようにこの方の悩みにお答えされるのかかなり期待した。

 

結果的にはなんか歯切れの悪い処方箋で、少し残念な気分だった。

 

理性とか理解とか知恵とか、なんか同じ概念なのか違う概念なのか良く分からない同じような言葉が並ぶ回答が多かった。結局この処方箋は何を意味しているのか、僕にはよくわからず仕舞い。

 

自分の事故のことを父親の墓石の前で話す。その行為に何の意味があるのだろうか?最初、その意図するところが理解できなかった。

 

いつもはそれなりに納得の行く理由を述べられる和尚が、さほどその意味合いを説明されないのが歯がゆかった。

 

僕なりの解釈としては、「語る」というナラティブな行為で自分のことを客観視するためだと思う。しかし、その後に「祈り」という言葉が出てきてさらに訳が分からなくなった。

 

理性、理解、知恵、そこからどう祈りにつながるのか?和尚、これ回答ちょっと迷いながら言ってない?

 

恨みというものが強い感情だというのは分かる。恨みの根元は何か?僕の浅い仏教の感覚から見ると、それは一方通行の強烈な"自己"の"他者"への対立感情の構造だ。その構造にこそ、仏教が立ち入る隙があるのじゃないか?

 

自己と他者を超越したところにある世界、そこを語らずしてなぜに和尚がこの悩み相談を行うのか。仏教の本質的な部分、特に曹洞宗における坐禅という修行で得ようとしている境地は何なのか?

 

和尚はそれを専門家として追い求めておられる方なのに、人間が持つ感情(この相談者の場合は恨み)の根元的な構造である我についてなぜ語らないのだろうか?本来であれば頭から離れて、そして心から離れて、恨みつらみというものを突き放すところからこの相談者の悩みの解決が始まるはずなのに、理性や理解、知性で解決せよという。

 

知性は物事の本質を深めることだともおっしゃるが、そのように「考えさせる」処方箋がこの方の本当の問題の解決になるとは思えない。

 

この相談者の方がまずは恨みの構造に気づく。頭ではなくて、感覚として気づく方策を提示することが大切だと思う。僕は仏教の初学者の立場で偉そうなことを言える立場ではないけれど、相談者の方の悩みを解決するには、とことん相手に償い続けることだと思う。

 

償うことで自分が償われていく。そしてふと気づく時が来るんじゃないかと思う。償いには切りがないと。そして恨みにも切りがないと。気づかなければ、それはそれでいいではないか。償いつづけることの何が問題なのか。

 

相談者は自分に投影するから苦しんでいるのだが、それはいまだに"自己"にこだわりがあるからだ。

 

今回の処方箋の切れ味の悪さに、また仏教的要素の中途半端さにとても残念な気分になった。

 

まあ、こういうこともある。人間だから。

 

Life is the dancer and I am the dance.

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