ボンヤリズム

Life is the dancer and I am the dance.

【読書】7つの習慣(17) 第二の習慣 "Begin with End in mind"(2)

 

7つの習慣-成功には原則があった!

7つの習慣-成功には原則があった!

  • 作者: スティーブン・R.コヴィー,Stephen R. Covey,ジェームススキナー,川西茂
  • 出版社/メーカー: キングベアー出版
  • 発売日: 1996/12/25
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前回は、この第二の習慣の"Begin with the

End in mind"の訳し方について細かい話をした。

 

bonyarythm.hateblo.jp

 

今回はその始まりで紹介されるワークについてである。そのワークとは次のようなものだ。

 

ある近親者のお葬式に呼ばれた。会場について棺を覗くと、そこには自分の亡骸が横たわっている。今から3年後の話である。席に着き、プログラムを見ると家族や友人、同僚などからのスピーチがある。そこで彼らが自分のことをどのように表現するかを想像してみよう。

 

というワークである。

 

このワーク、僕はたぶん5回ぐらいトライしたと思う。しかし納得感を持って終了できたことがない。このワークなんなんだ。といつも思う。

 

第一の習慣でProactiveについて語った後、他人が自分をどう表現するかを想像せよというワークの流れが理解し難い。それが人生の最後である葬式、すなわち人生の"The End"だという比喩的なワークだとしても。

 

結局は他人の評価に基づくということが、the End in mindということなら、そんな馬鹿な話はあるかと思ってしまう。葬式で誰かに何を言われるかを想像することが、なぜ自分の人生の最後をイメージすることにつながるのか、全く理解できない。

 

しかし、これこそがthe end in mindとなり、在り方を示唆する土台となるとまで著者は言う。そしてそれをハシゴに例え、違うところにハシゴをかけ一所懸命登ってみたら違うendに居たなんてことがあってはならないとも言う。

 

それ、最初からわかったらすごいよ。

 

自分の葬式で知り合いたちが自分のことをどう言うかが、自分の人生のthe end in mindで、そこに向かっていかない努力は無駄な努力になるというわけ?

 

この部分に関しては全く同感できないし、何度気持ちを入れ替えてワークをしてみてもそのワークは本来のthe end in mindから離れていくイメージしかない。

 

仮にこのワークで意味があるとすれば、おそらく葬式の場で、近親者は自分のことを人間的な価値の話をするだろうということ。どういうことかというと、葬式で「彼は大きな一軒家を世田谷区に建て、フェラーリに乗るような素晴らしい人でした。」なんて挨拶はまずないということだ。

 

必ず、「人柄」「人物像」「性格や言動」そうした人間性のある部分に対して話をするだろう。なので、そうした意味では葬式の時に他人が自分をどう表現するかを考えるのは、自分の人柄を考える上ではワークとして成り立つ。

 

しかし、他人に認められる人柄になるために生きているわけじゃないし、人柄は様々な人生経験の中から醸成されていくもので、ハシゴのように決められたステップに規定されるものでもない。

 

僕はなぜこの著者がこのワークをこの章の頭に挿入してきたのか、何かしらの背景があるんじゃないのか?と小さな脳みそを使って考えたが、全く思いつくことができなかった。

 

このワークをするたびに、誰に何と言われようが別にどうでもいいんだけど。と思ってしまう自分が居て、そう思えることが僕にとってはとても大事なことのように思えて仕方がない。

 

あなたはこの部分をどう感じるだろうか?

 

 僕はこのオーディオブックを読んで解釈している。日本語訳版と異なる解釈があるかもしれない。ご了承を。

 

Life is the dancer and I am the dance.