ボンヤリズム

Life is the dancer and I am the dance.

【読書】ぼくらの哲学

 

ぼくらの哲学

ぼくらの哲学

 

 

憧れの人、青山繁晴氏の著作である。

 

とは言え、僕は憧れの人の著作は今回がようやく2冊目であり、本当に憧れているのかとファンの方からは訝られるかもしれない。まあ、そうだろう。

 

というのも、青山氏の言行一致の部分に彼の志を感じるのであって、彼の言っていることそのものについては、実のところ判断を下すほどの知性が僕にはない。盲目に信じることもできないし、盲目に反対することもない。

 

ただ、彼のメディアで見る言動と、国会で見る行為の一致に、彼の志を感じる。それと、仮に演技だとしても、彼の情熱溢れる語り口に引き込まれるし、その情熱には何か感じずにはいられない。

 

そういう意味で憧れの人なのだ。こういう人滅多にいない。

 

で、今回の著作だが、中身に関してはあまり感想はない。彼の熱い思いや、彼の言う事実に基づいた、彼の意見が熱く語られている本であり、それはそれで参考になった。そこから僕が少し昔のことについて思い出したので記しておこうと思う。

 

お題は3つである。一つは韓国と中国、そしてその人々。もう一つは沖縄。そして最後は「葉隠」の「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり

 

韓国と中国、そしてその人々

外国に住んだことのある人ならば、日本人としてのアイデンティティとは何か?と考えざるを得なかった瞬間があるはずだ。特に留学すると、必ず中国人や韓国人の学生と交流することになり。そこで初めて、学んできた歴史の認識の違いに気が付くことになる。

 

僕は豪州に留学していたが、ある時普段から問題行動の多い韓国人と、何が原因だったか思い出せないが、険悪な雰囲気になったことがある。彼は小さなナイフをちらつかせ、"Do you wanna fight?"と喧嘩を売ってきた。

 

で、僕がどうしたかというと、”No, I don't want to. But if you wanna stab me then stab me. I don't care. I allow you.”と、彼に向ってグイっと一歩踏み出した。僕はその時ナイフを持ったその彼がひるんだのを見た。そして、彼は逃げた。

 

僕と一緒にいた別の韓国人は、なんであんなこと言うんだ。彼は韓国人の中でもクレイジーな奴なのに。とかなり説教された記憶がある。当時韓国人の友達はたくさんいた。彼らはとてもいい奴らだった。しかし、歴史に対する認識は違った、彼はそんな日本人に嫌悪感を感じていたがゆえに、僕に大きな態度を取る行動に出たのだろう。

 

中国人には僕のキャリアを真剣に一緒に考えて、大学でどの授業を取るべきか一緒に考えてくれた恩人もいる。中国人はすごく冷静にそして超現実的に物事を判断する。めちゃくちゃストレートだ。香港人はまたちょっと違う。台湾人は全然違う。見た目で分かるほどだった。

 

個々人で彼らとは何の軋轢もなく良い友人関係だった。

 

しかし、文化の違いは明白だった。同じアジア人として似た文化の中にあるように見えて、実は全く異なる文化を背景にしていることに、その留学中に気が付いた。当たり前と言えば当たり前なのだが。

 

ただ、白人の国で、アジア人としてそれなりの団結力は有していたと思う。アジア人としての誇りはあったんじゃないかと思う。しかし、日本に帰国してみると、世論は違っていた。特に僕の母は中韓を嫌悪していた。不思議な感覚だったのを覚えている。

 

沖縄

 僕の父は昔沖縄に単身赴任をしていたことがある。僕が高校生の頃だ。その縁もあり、高校生の頃、夏休みを使って、今のちゅらうみ水族館、当時の海洋博公園の水族館でアルバイトをした経験がある。

 

その約10年後、僕は今の国家資格を得るための実習で、沖縄の病院を自ら選択しその地に1か月間滞在した。その理由は浅はかではあるが、沖縄に移住しようかと考えていたからだ。

 

移住したかった理由は、高校生の時のアルバイト経験だった。素敵な人々、おおらかな文化。日本の学校で落ちこぼれだった僕は、そうした「なんくるないさ」の世界にあこがれていた。

 

そして、実習の1か月実際に沖縄に住んでみて感じたことを率直に語ると、沖縄も異文化だった。青山氏が本書で語るような祖国の一部とは、当時僕は感じなかった。

 

もちろん日本語も通じるし、支払いも円であるし、車は左側通行だし、日本であることは確かだが、どこか日本でない部分があると感じた。僕はここには住めないと感じて、沖縄移住をあきらめた。

 

当たり前と言えば当たり前である。もともとは琉球王国という一つの独立国家だったわけで、元々日本であったわけではないから文化は必然的に異なる。それは沖縄最北端から見える、鹿児島県の最南端の与論島に行けば分かる。与論島も沖縄と同じ青い海、青い空に囲まれた南国であるが、沖縄とは違う空気が流れている。

 

僕は青山氏の言う沖縄との関係性にしっくりこない感覚がまだある。それはやはり今だに沖縄は本土に何かしらの違和感を持っているのではないか?本土も沖縄に何かしらの違和感を持っているのではないか?という僕の肌感覚だ。

 

戦争で誰のために戦ったか?沖縄の人も、大阪の人も、その他の地域の人も、日本国のために戦った。そこは完全同意である。死にたくないのに死ぬ選択をした特攻隊など、なんとも言葉にしにくい悲劇であると同時に、覚悟を感じる。

 

青山氏の言う戦後教育における沖縄の扱いの問題もあるのかもしれない。その後も、NAHAマラソンに10年連続出場するなど、沖縄にはそれなりの思い入れはあり、沖縄の歴史も勉強した。だが、それ故に肌感覚で異文化を感じる僕は、青山氏の沖縄の話にどこか違和感を感じる。

 

ただ、その違和感が何かは分からない。誤解を恐れず、幼稚な感覚で言うと、日本ではあるけれど祖国感はない。そんな感覚だ。

 

葉隠」の「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり

 著者が葉隠の一節から力説する、人のため世のために生きること。これはもう真理である。青山氏は、メディアを通じてみる限り、これを実践されている。そこは本当に頭が下がると同時に、追随したい部分である。

 

いわゆる、滅私奉公の「滅私」が「死ぬことを見つけたり」という部分に相当するというのが著者の意見であろう。今の時代にこんな話理解できる人たちがどれくらいいるのだろう。

 

現代における「滅私」は単なる「損」である。「バカ」とさえ言われる恐れがある。

 

武士道に権利などなく、義務しかないのだ。そんな思いを持った。とはいっても、僕らは武士ではない。なので武士道というより、大和魂というものになるのだろうか。

 

僕がナイフを持った韓国人に臆することなく接することができたのは、おそらく中学生までやっていた空手のおかげだったかもしれない。もしくは、ボーイスカウトのおかげであったかもしれない。(ボーイスカウトは大和とは何の関係もないけれど、滅私という意味では非常に意味のある団体である。)

 

最後に

とりとめのないことを長々と書いた。特に本に対してどうこうという感想はないが、思い出された昔の記憶を書き出すきっかけになった。青山氏には賛否両論あり、実は僕も彼が本当の本当に僕が考えているような人なのか?分からない。

 

実は本を読んでちょっと残念だった。だって虎ノ門ニュースで話してる内容ばっかりが、行間大きく文字も大きく繰り返し語られることも多く、なんだか改めて読む必要あったのかなと思う瞬間があったからだ。

 

たぶん彼は言うだろう、お年寄りの人も読みやすくした。虎ノ門ニュースを見ていない人に向けて書いた。大事なことは何度繰り返し言っても無駄ではない。

 

そんな風に言動が少し読めちゃうところが、青山氏の僕がちょっと残念に思うところである。

 

Life is the dancer and I am the dance.