ボンヤリズム

Life is the dancer and I am the dance.

【仏教】小さなことにとらわれず自由に大胆に生きるための知恵!大愚禅 大愚和尚動画より


小さなことにとらわれず自由に大胆に生きるための知恵|大愚禅【行雲流水】

 

太古の時代の人たちが雲をどうみていたのか?現れては形を変え消えていく。時には黒々とした雲となり大地に雨を降らす。空を隠すようにどんよりと全体を覆うような曇りの日を作る。

 

自分たちには手に負えない、ある意味畏敬の念を抱くような存在だったんではなかろうか?ちなみに現代でも雲は操れないだろう。もしかしたら部分的に天気を制御する試みは始まっているのかもしれないが、一般市民には無理だ。

 

太古の時代の人たちは水をどうみていたのか?生きていくのに欠かせない、暮らしに直結した存在であり、作物を実らせるまさに恵だったであろう。しかし、同時に大河の氾濫や逆に水不足により命を脅かす脅威でもあったはずだ。

 

自分たちの手元にあり活用できるにも関わらず、その扱いには人間の力が遠く及ばない自然の力を持ち、便利だけども一旦制御を失うと何よりも恐ろしいものだったに違いない。

 

雲の様に、水の様に人はなれるだろうか?

 

確かに雲の様に水の様な自由自在さを求める気持ちは魅力的だ。しかし、人間は遠くそこに及ばない存在であることは確かであり、雲や水に自分を投影することは危険だと思う。

 

自然とは恵と脅威を併せ持つ存在だ。しかし、それが恵であるか脅威であるかを決めるのは人の考えである。地球規模で考えれば、人にとっての脅威が地球全体の恵であるかもしれない。人にとっての恵が地球全体の脅威かもしれない。

 

雲や水はそんなことお構いなしに、あるがままの自然の法則に則って存在している。そして移ろいゆく。

 

雲を見て、日照りの続く日の一瞬の曇りや通り雨にあー自分は雲に恵をもらっている。恐怖心を抱かせるくらいのゲリラ豪雨に、あー雲や水って手が付けられないときは怖いなと脅威を抱く。

 

人間なんてそんなものなのだ。

 

ちっぽけな存在がすごい大きな存在を見て、あのように生きたい。そんな考えはおかしい。

 

行雲流水に単なる癒しを感じるのはよして欲しい。あまりにも短絡的にさえ感じる。下手したら、人間は雲や水によって存在させてもらっているのかもしれない。

 

自分が自然の一部であるという謙虚な心。雲を見てそれを思い、水に触れてそれを感じる。それが僕の行雲流水だ。それが大いなる知恵だ。

 

Life is the dancer and I am the dance.