ボンヤリズム

Life is the dancer and I am the dance.

【読書】仕事なんか生きがいにするな

 

 

読み応えのある本だった。量的にというわけではなく、著者の思索がである。

 

労働の価値とは何か?お金のために働くことか、仕事そのものへの意味を求めることか?西洋の哲学者の言葉を多く引用しながら探っていく過程は、知的好奇心をくすぐる面白さだった。

 

僕は以前、残業代を請求しないという話をした。特にブラック企業ではなくて、残業しても6時までには帰れるのだが、他のスタッフは細かくつけているし、権利としてつけることは構わないと、僕自身が彼らにそう言っている。

 

なぜか?僕は仕事を本の中にあるように、消費消耗という労働として捉えていないからだ。

 

先日、他の役職者の面談で、「何か仕事したらフィードバックって欲しいじゃないですか?」ということを聴かれた。僕は「フィードバックがあれば仕事の意義が見いだせるってことかな?」と聴き返した。

 

なるほど、自分の仕事の価値を誰か外の者に認めてもらって、初めて意義が見いだせるということか。「どう思われます?」と聞かれたから、「僕は新たな仕事を頼まれること自体がフィードバックだと思っていて、ある仕事そのもののフィードバックは特に求めないタイプ。」と答えた。

 

昔の西欧諸国では、労働とは課せられるものであったし、今もその流れは今だ根強く残っていると思う。例えば、海外の店で何かクレームをしたとしても、"I don't know. I just work here."のような答えをよく聞いた。

 

著者の言う「資本主義の精神のエートス」が色濃く残っているわけだ。

 

おそらく戦争前の、日本にはそれがあまりなかったと思うのだが、アメリカによって押し付けられた資本主義によって、日本では少し形を変えて「資本主義の精神のエートス」が働いているのだろう。

 

特に団塊の世代にはその感覚強いのかもしれない。何もないところから、新しい日本を作ってきた自負。新たな労働の価値観の中で。

 

漱石の言う「則天去私」は、今の時代への警告ににた言葉だと思う。何かフィードバックがもらえなきゃいけない価値を生み出す有意義病。そんなもの本当に必要なんだろうか?

 

フランクルの言葉として紹介されている「意味を求める志向性」というのも奥が深い。意味とは個人が感じるものだが、そこへの志向性が生まれた瞬間に、頭が働き始める。頭はろくなこと考えないからな。

 

著者は処方箋的に、最後に心-身体 の喜びにこそ意味があるという話をしている。その中で「自発性」という言葉を使っている。自発性という言葉は何となく軽い言葉に聴こえなくもないが、これって7つの習慣でいうところのProactivityそのものの話だなと思って眺めていた。

 

何者かになる必要などなく、戯れる。

 

Life is the dancer and I am the dance.

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