ボンヤリズム

Life is the dancer and I am the dance.

【仏教】明日、死ぬなら という問い自体が意味ないと思う 大愚和尚動画より


明日死ぬとしたら?人生を逆算で考えると見えてくる大切なモノ

 

生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり。

 

という道元禅師の言葉から始まるが、あるウェッブサイトでみると、そのあとにこのような言葉が続く。

 

生死(しょうじ)の中に仏あれば生死なし。
ただ生死即ち涅槃と心得て、生死として厭(いと)うべきもなく、涅槃として欣(ねご)うべきもなし。
この時はじめて生死を離るる分あり。
ただ一大事因縁と究尽(ぐうじん)すべし。「修証義一章(第一節)」

 

生き死にを明らかにすることは仏教の一番大事なことなんだけど、生き死にについてあれこれ考えてたら、生き死には分かんねんよ。って意味なのかな。

 

なんだよ。これ。難しすぎるだろ。(笑)

 

結局は、生き死にを考えることから逃れ、この世のあるべき姿に身をゆだねることに気が付くことが一つの涅槃的なあり方なんじゃないかな。

 

だからこの相談者さんがいくら明日死ぬことを考えて、どちらかの道を選んだとしても、どちらが正しかったかなんて誰にも分からない。何を選んでも正しいと僕は思うけどね。

 

メメントモリという言葉を聞いたことがある。死を思えという意味だったと思うが、死を思うと、じゃあなんで生まれて来たんだよ。っていうところに行きつくでしょ?それって危険だと思う。

 

だから道元禅師の本来の言葉に戻って、別にどっちでもええやん。したいようにしたらええねん。と成るように成るのがこの世ですわ。と鶴瓶師匠に言われてる感じで決めたらいいと思う。

 

ちなみに、僕は「明日死ぬのなら」という問いを自分に立てて考えてみたけど、特に何も思い浮かばなかった。いつも通り普通に生活する。選択肢があれば、情報収集したり自分の能力を客観的に判断して、決断する。そこに良し悪し考えない。

 

自分で決めてるようで、実はいろいろなことに影響されるのが人生。明日のことは分からないんだから、明日死ぬのならを考えても意味なし。

 

Life is the dancer and I am the dance.