ボンヤリズム

Life is the dancer and I am the dance.

【仏教】動画の内容とは関係ないけれど 大愚和尚動画より


モノの見方を変えて今ある幸せに気付く方法

 

動画の内容とは全く関係ない話をする。

 

大愚さんの動画タイトルって、いわゆる「ブログで読まれるタイトルの付け方3つのコツ」という感じの、かなりネットでクリックされるコトを意識したタイトルだ。

 

確かにそうしたタイトルには惹かれる。こうしたタイトルの付け方には、人の心の弱さというか弱点がうまく利用されてるんだよね。

 

「えっ?それ解決する方法あるの!?」「えっ、?3つでいいの?」って、無意識にも思うだろうし、メタ認知が発達した人なら意識的にも気づいてるでしょ?

 

その辺が、仏教を語りながら、仏教らしくないアプローチを取る大愚さんの戦略。でも、動画に出てくる仏教用語やそこから相談者の悩みに答えていく過程はすごいし、そうした戦略を取る大愚さんをある意味すげー仏教者だなと思う。

 

そもそも、僕自身が死なずに生きていられるのは仏教のおかげかもとさえ思うので、大愚和尚がどんな戦略を取ろうが、同じように生き行こうとする糧として動画が活用されるのは素晴らしいこと。

 

ただ、話の内容的には、南和尚の方が哲学的で気持ちいいくらい知的好奇心を刺激するので、たぶん南和尚の話に心地よさを感じる人は、大愚和尚の動画を見る人少ないんじゃないかな。

 

ちなみに僕は仏教だったらなんでも来いって感じで、南和尚も大愚和尚も好きで動画を音声にして、通勤途中に聞く。

 

そこで南和尚と大愚和尚の違いをすこく感じる。ネット戦略的なところはさておき、根本的な違いとして仏教概念の深堀り度合いはやっぱりかなり違うように感じる。

 

大愚和尚は相談者に寄り添う形で、比較的表面的な部分の仏教を語る事が多い。良い面としては、仏教への入り口としての役割があるだろう。でも、実生活ベースなので、相談者も聞いている人も、もしかしたら仏教の本質的な部分には思いを馳せるチャンスはないかもしれない。

 

それに対して南和尚の動画は、かなり本質的な部分にぐいっと立ち入ってくる。差し込んでくる。もちろん、お寺で実際の相談を受けた時には、そんな言い方はしないのだろうけど、動画ではかなり本質を論理的についてくる。

 

だから本質を知りたかった人間は、本質を理解できれば、それをベースに実生活への応用がきく。ただし、ある程度仏教的発想のベースのない人には、実生活との接点を見つけ出すのはなかなか困難かもしれない。

 

いやまあ、比べてどちらが良い悪いを判断する訳ではないけれど、大愚和尚の動画のタイトルは、下手すれば仏教の本質を見誤らせる側面も持ってるんじゃないかなぁと思ったのがこの文章を書くきっかけ。だって、あまりにも俗っぽいタイトルが多いからさ...

 

だからこそ、僕は大愚和尚の動画にはできるだけ批判的でいたいと思うんだよね。それが僕にとっては大愚和尚の動画の存在意義で、逆に仏教を学ぶということにもつながるから。大体、相談者の問題点を抽出して、それに対して処方を出すなんて、発想自体が仏教的ではないと思うし。

 

大愚和尚の動画が最近実はあまり面白くないと感じている。

 

この世に正しさなんてないんだから、処方箋もさほど真剣に聞いてはいないんだけど、それにしても、なんだか仏教用語を出す割には、回答がそこから少しずれたところに向かっている感じがする。

 

僕みたいな仏教素人が口を出す幕ではないけれど、もう少し「仏教」らしい話が聞けたらなあと思うのは、僕の錯覚だろうか。

 

Life is the dancer and I am the dance.