
- 作者: スティーブン・R.コヴィー,Stephen R. Covey,ジェームススキナー,川西茂
- 出版社/メーカー: キングベアー出版
- 発売日: 1996/12/25
- メディア: 単行本
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前回はprincipleの話をした。今回は、基本的なprincipleの一つだとして、この本で紹介されている"inside out"について書いてみる。
"inside out"とは「内側から外へ」という意味だ。この「内側」とは本の文脈からいくと「自分」のこと。要は自分から外へ向かう、という概念いわばパラダイムだ。
この"inside out"の反対は、"outside in"で、outsideとは「外側」になるから、自分以外のあらゆる事象や事物のことを意味する。要は自分以外のあらゆる事象や事物から自分へ向かう、という概念いわばパラダイムを言っている。
さて、前回のprincipleの回でも書いているように、著者はprincipleを自然の法則と明言している。なので、自然の法則に則り、あらためて僕自身が考える「自分」または「自己」の定義を思い出したい。
それは、
この世に本当の自分など居らず、あらゆる事象や事物によって立ち上がらされた存在。
前回僕が本から解釈した定義である。
なので、必然的に存在としての自分は、"outside in"的になる。外界の影響なしに自分は存在しえない。よって、この本が主張する"inside out"がとても効果的な人になるためのprincipleであるという話は、なんだか変な感じだ。
本の中では"outside in"のパラダイムを持った人の悪い例が書かれているが、僕はなんかここの部分を聴いていて、胸くそ悪かった。(ちょい言い過ぎか)二元論で自然の法則を語るなんてあり得ないでしょ。
ただし、"inside out"がprincipleであると解釈しなければ、話はすんなり理解できる。要は"inside out"とは「考え方」と解釈すればよい。考え方はprincipleではない。なぜなら、principle=自然の法則だから、その中に含まれる人間の内に発生するのが「考え方」だからだ。
このパラダイムからprincipleにかけての序章部分をちゃんと批判的に読まないと、この本は、ホントにただの自己啓発書の類いと変わらなくなる。
実際、この著者の唱えるパラダイムとprincipleは曖昧だ。原著版のオーディオブックを聴いていてもそう感じるのだから、日本語訳なんてどうなっちゃてるんだろうか不安だ。二元論的な部分があると思えば、自然の法則や自然は相互依存の典型例だなどと言ってみたり、かなりの違和感を感じずにはいられない。
よっぽど考え方によっては、"outside in"のほうがprincipleだと思うのだが、あなたはどう感じるだろうか?
自己の在り方が定義できない人に、本当に効果的な"inside out"が実践できるのか?僕にはすごく難しい気がする。
もしかすると、西洋と東洋における自分や自然の見方の違いから、このような曖昧さが生まれているのかもしれないが、僕は日本人である。日本人としてのこの本をどう解釈するか考えなければならない。
次回は"inside out"の「考え方」について語りたいと思う。
僕はこのオーディオブックを聴いて解釈している。
Life is the dancer and I am the dance.