ボンヤリズム

Life is the dancer and I am the dance.

【仏教】迷いとは本当の「自己」を見つけ出す手段 大愚和尚動画より

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職場の後輩にいつも迷っているスタッフがいる。相談を受けるたびに、僕は答えを出さずに、「こう考えてみるのはどう?」などと考え方の転換をアドバイスするのだが、そのスタッフはいつも首をかしげて納得した感じはない。

 

そのスタッフの迷いの根源的な原因は何となく僕自身は分かっているつもりだが、ずばりそれを言うことは単なる傲慢だし無知だ。なぜなら真実はそのスタッフ自身しか知らないからだ。

 

迷いを相談してくる相手に、「考え方のアドバイス」をするのは、かなり意識的にやっているが、それで自分なりに解決していくスタッフもいれば、相変わらず迷い続けるスタッフもいる。そんな時はこう考える。

 

迷う時期なんだから、迷えばいい。そのうち迷わなくなる。自分で答えを見つける。

 

「迷いきる、迷うときは迷うべき。」和尚の言葉に深く頷いた。

 

僕自身も若い時からよく迷っていた。それが前にも書いた通り、自己啓発書に走るなどの行動に出ることで解決しようとしたりした。それがいいか悪いかは別として、迷いがあるときは行動しかないと僕は思っている。それが迷いきることを早めるはずだ。

 

ちなみに僕は、和尚の人生とは大きな目標を立て、小さな目標に落とし込み。自己反省を繰り返し成長するという考え方は、どうも受け入れがたい。ビジネスとしては有効だが、人生はビジネスじゃない。

 

人生において「自己」というのは、あまり考えないほうが良い。そこに対して目標も反省もない。そのままであなたはあなたなのだから。だからこそ、相互依存の重要性が際立つ。そこは和尚も同じのようだ。

 

依存される存在になれば、依存しやすくなる。

 

それも非常に良くわかる。ちなみに7つの習慣ではそれを"interdependence"と言っている。これが成立するには"independent"な存在になる必要があるとも言っている。

 

この"independent"の意味をどう捉えるかがキーになると思うが、僕は相互依存の条件として、相手との関係の中で自己の弱さを自覚することだと思う。それがあって初めて、相手との関係の中での自分、いわゆる縁起の中で自己が立ち上がる。縁起の中での自己こそ、"interdependent"そのものだ。

 

この自己は自立した自己ではないことが重要な点だ。周りから輪郭づけられて初めて形をなす自己だ。

 

そんな存在の自己に目標や自己反省など必要だろうか?逆に、目標や自己反省など考えるから、自己啓発などの方向に走る人たちがいるのではないかとさえ思う。もしかしたら、和尚の動画さえもそんな気持ちで見ているのかもしれない。だってタイトルがそれ系だしね。(笑)

 

迷いは大切である。その迷いの中で行動を起こし、社会の中でぶつかり合うことで輪郭づけられる自己が発生する。その自己に気が付いた瞬間に、自己が変わり世界は変わる。まさにパラダイムシフトだ。

 

Life is the dancer and I am the dance.