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ボンヤリズム

Life is the dancer and I am the dance.

【コト】「ただいま!」「お帰り!」の挨拶が人を意味づける

妻と娘たちが妻の実家に帰った。別に何かがあって帰ったのではなくて、そういう予定だった。(言い訳っぽい?でも、ほんと。)

 

年度末で忙しく仕事をし、いつもより遅く帰ってきた僕は、敢えて大きな声で「ただいま!」と叫んでみた。

 

叫んだ時に気が付いた。僕は毎日「期待」を抱いて帰宅しているのだと。なんの期待だろう?もちろん家族がいることの期待は当たり前なのだが、家族が家に居るということの期待とは何なんだろう?

 

僕の職場にこころの病で休職中の職員がいる。なんとか復帰できるように、毎週面談を繰り返ししている。僕から何かを勧めるわけでもない。ただ、その職員の現状を聞き取るだけでの面談だ。スタッフの言うことに耳を傾け、ただうなづくかまたはリフレージングするのみだ。

 

そのスタッフは今独身で、独身寮に住んでいる。休職してから実家に帰ったのも数回のみだ。実家でも症状は安定しないようだ。

 

そのスタッフと話していて思う。

 

無条件に自分の存在が、それだけで意味のある場所が必要なんだと。

 

南直哉和尚は言う。望んで生まれてくる人間はいない。その人間としての誕生を無条件に受け入れてくれる人がいるからこそ、人は自分の存在を意味あるものとして感じられる。

 

無人の家に帰ってきて大きな声で「ただいま!」と叫んだ時、僕は自分の存在をの意義を、そして同時に自分の一人の人間としての弱さを感じた。

 

ただ、それだけの話であるが、「ただいま!」と大きな声を出して帰ってくることには、それだけの意味があり、また「お帰り!」と返すことにもそれだけの意味があること、それをこれからもすごく大事にしたいと思った。

 

Life is the dancer and I am the dance.