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ボンヤリズム

Life is the dancer and I am the dance.

【仏教】今を生きる?バカ言っちゃいけない。今と言った瞬間に今は過去だろ。  大愚和尚動画より


「今」を苦しめる「過去」からの脱却法

 

この動画で紹介されている「一夜賢者の偈」を引用。

 

過去は追うな。
未来を願うな。
過去はすでに捨てられ、
未来はまだ来ない。
だから、ただ現在のことを
ありのままに観察し、
動揺することなく、
よく理解して、実践せよ。
ただ今日すべきことを熱心になせ。
明日、死のあることを誰が知ろうか。
かの死神の大軍と
会わないわけはない。
このように考えて、熱心に
昼夜おこたることなく励む人、
このような人を一夜賢者といい、
寂静者、寂黙者と人はいう。

(引用元:http://kousanji.net/Houwa/2011/Oct/houwa_20111003.htm

 

この世はすべて妄想。この発想は、荘子の話に「胡蝶の夢」という話があるが、それにも似ている。夢があまりにもリアルなので、夢が現実か現実が夢かどうなのか?という話だ。

 

過去は変えられない。当たり前の話だ。未来のことは何もできない。当たり前の話だ。現在なら何かできる。当たり前の話だ。この当たり前の話を知っているのと、知らないのとでは大きな違いであり、まさに知ることでパラダイムシフトが起こる。7つの習慣にもあるパラダイムの話だ。

 

ただ、

 

「現在」とか「今」に関しては、僕なりに考えることがあって、今を生きるという話には懐疑的だ。理由を述べよう。

 

人間は何らかの刺激を感覚受容器で経て、脊髄レベルまたは大脳レベルでそれを認識するわけだが、そこには受けて反応するという「情報伝達の往復」というタイムラグが生じる。

 

よって本当は、今の今って人間には分からない。実のところ人間は自身の実存を感じられていない。ってのが、最近の僕の考えだ。

 

だからすべては妄想だ。僕が見る世界、あなたが見る世界は、もうすでに今じゃない。ということは、もうすべてが過去の世界。「今を生きる」なんて映画あったが、あれは嘘で、「ほんの少し過去を生きる」ってのが実際のところ。

 

だから「自分」なんてものも過去の存在なのだ。記憶の残りカス=自分なのだ。

 

まあ、そういうことをあーだこーだ考えるのは、哲学的な問いとしては意味があっても、実用的には意味がないのかもしれない。が、このパラダイムシフトはかなり大きなインパクトだ。

 

だって、要するに過去も未来も考えても意味がない上に、現在なんてものも本当はないんだから、そんなことなど一切考えずにただ生きればいいのだというとても簡単な結論に至るからだ。

 

ただ生きる。

 

Life is the dancer and I am the dance.