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ボンヤリズム

Life is the dancer and I am the dance.

【コト】仕事に疲れて帰ってきた夫が妻の些細な話を聞くことの意味って!?

年度末。多くの業界で忙しい時期だと思うが、僕も忙しい毎日を過ごしている。スタッフが急遽退職したこともあり、本来の自分の業務以外の仕事が急増したのでなおさらである。

 

家に帰るのもいつもより遅くなる日々が続いている。そこそこ疲労困憊で帰ると、待っているのは妻からの止まらぬおしゃべりである。少しでもボンヤリしていると、「ちゃんと聞いてよ!」と怒られる。

 

「今日はこんなことがあってね、、、」「こんな人と話があってね、、、」疲れていてしかもお腹が空いている僕には、正直なところ興味のないどうでも良い話なのだ。そこに輪をかけて、娘たちが奇声を発しながら遊んでくれと来る。

 

「勘弁してくれよ。こっちは疲れているんだよ…」

 

と、最近まで思っていた。

 

朝のゴミだし、風呂の掃除、寝る前のリビングの片付け、休日の掃除機がけ、子供の風呂入れ、おむつ交換、電球の交換やら壊れたものの修理、色々やってるやん?なんで?それだけじゃあかんの?

 

と思っていた。そして苛立っていた。

 

しかし、先日ふと思ったことがあって、その考えが急に改まった。パラダイムシフトである。妻に言われて気がついたとかではなく、自分で思い立って腑に落ちたのだ。

 

確かに自分は仕事で疲れている。しかし、仕事において自分は自分の仕事の結果を、何らかの形で示すことができる。それに対して負であったとしてもフィードバックが得られる。認められれば嬉しい。例え忙しくても。

 

ところが、よくよく考えると専業主婦をやっている妻は、僕が家にいない間にやってることの結果へのフィードバックが即時的にはない。

 

子供の世話で自分の時間がないこと、他の親御さんたちとの会話でそれなりの気苦労をすること、自分の睡眠不足や体調不良の中、子供の世話をし食事も作らなきゃいけないこと。

 

誰もその場でフィードバックしてくれない。

 

できるのは誰だ?

 

あ、俺か。

 

そう気がついた。(遅い?)

 

確かに僕には仕事の疲れはある。たぶん妻もそれは心得ている。それでも、話をしたくて仕方がないし、聞いて欲しくて仕方がない。でなければ、妻にとっての仕事(家事育児)へのモチベーションが保てない切羽詰った感じさえあるのだろうと気がついた。

 

だから、自分の仕事の疲れと、妻の話を聞くこと、理解を示すこと、当たり前のことも認めることを全く別のものとして切り離して考えるようにした。疲れていても「へー、そうなんだ。」「それはすごいね。」「大変だったね。頑張ったよ。」「おつかれさん。」は言えるのだ。

 

言えないというのなら、それはあなだが、実は自分のことしか考えていない証拠。僕自身言えない時、僕は心の中で自分のことしか考えていない。疲れたこと、仕事で大変なことがあったこと、あほな上司がいて仕事が増えたこと、などなど。それらは自分のことだ。

 

夫婦って何だろう?家族って何だろう?

 

いや、漠然とした問いではあるけれど、僕にはすごく大事な答えが「見えた」瞬間だった。

 

Life is the dancer and I am the dance.