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ボンヤリズム

Life is the dancer and I am the dance.

妻の出産、自分の手術など嵐のような数ヶ月の生活で感じた3つのこと

妻と子供たちが帰ってきて、落ち着きを取り戻しつつある我が家です。

 

この数か月は妻の出産、僕の手術とその後の発熱などあり、ばたばたした感が強かったです。そうした嵐の時期はまた来るのでしょうけれど、とりあえず出産も無事終わり、僕の手術も無事終わり、平穏な日々が戻りつつあります。この嵐のように過ぎた数か月で僕が感じた大事なポイントを記録しておきます。

 

1、家族生活から一人暮らしに戻ると生活が荒む

きちんとされている方はそうではないと思いますが、僕の場合はまず就寝時間が大幅に遅くなり、睡眠時間が短い日が増えました。そして、朝食を抜く機会も増えました。夕食も外食や中食が増えました。子供がいなくなって時間ができたにも関わらず、運動や読書をせずにテレビを観たり、PCいじってる時間が長くなりました。

しかし、よく考えると結婚前の一人暮らしの時は、これほど自己制御が効かない状態ではありませんでしたから、家族生活の経験が何らかの影響を及ぼしているということになります。邪推するに、おそらく「寂しさ」であったり「役割の喪失」であったりするのかなと思います。人間は環境に大きく左右される生き物ですが、今回はとてもそれを強く感じる機会でした。

 

2、子供が二人になったことで心持が変わった

親としての責任感というのは、子供を持った瞬間に自然に沸き起こるものだと思っていました。事実、一人目が生まれてから、この3年間でも責任感というのはそれなりに感じながら子供にも接していましたし、嫌々しなければならない仕事があるときにも、子供や家族に対する責任感で乗り越えられた感覚はあります。

ところが二人目ができて、その責任感は少し様相を変えた気がするのです。ニュアンスの違いで分かりにくいのですが、今までの責任感は義務感をベースにしていました。「ねばならぬ。」的思考です。しかし、今はその義務感はフェイドアウトし、役割感が代わりにフェイドインしてきたのです。「私が~する。」的思考です。この違いはほんの小さな思考の変化なのですが、行動上自分に与える影響は大きく、妻と子供たちが帰ってきてからの数日間、非常に楽な気持で家事の手伝いや子供の世話ができています。

 

3、「食べる」という行為の尊さを実感した

扁桃腺除去術を受け、その後、食べるものや飲むものが制限されています。好きなものが好きなように食べられる幸せって、食べられない状況を体験しないと実感できないのだなと初めて知りました。実は、僕は病院で食事が摂れなくなった方へのリハビリをする仕事をしているのですが、この感覚を知らずに十数年仕事をしてきたことに罪悪感さえ感じました。

加えて、飲み込む時に術部に負担を与えないため、よく噛んで食事をする機会が増えたのですが、今まで自分がいかにちゃんと嚙まずに食事をしていたかがよく分かりました。よく噛んで味わいながら食べることで、食事の時に会話する時間も増えますし、食事という行為を丁寧にとらえることで、少し大げさかもしれませんが、生きる喜びや、家族の幸せを紡ぐことができるのではないかと感じました。

好きな映画監督の荻上直子さんの作品にも、必ずおいしそうな食事の場面が出てきます。食べるという行為はあなどれません。

 

他にも感じることの多い数か月でしたが、結局この3つにまとまりました。人との触れ合いの中で変わる自分と、食に対する感覚が変わった自分。この数か月で感じたことが、僕のこれからの人生をどう変えていくか、とても楽しみです。