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ボンヤリズム

Life is the dancer and I am the dance.

【コト】上の娘の理不尽な振る舞いについての夫婦の会話

昨日、紹介した本の紹介後日談。

 bonyarythm.hateblo.jp

 普段、僕はあまり読んでいる本を妻の見えるところに置いていない。しかし、この本は僕だけが読んでも意味がないと思い、出勤時にリビングの片隅に置いたままにしてみた。すると妻が目ざとくそれを見つけて、妻もつまみ読みしたようだ。

 

思惑通りだ。いや、妻がこちらの暗黙のメッセージを受け取ったのかもしれないけど。

 

その夜、子供たちが寝静まった後、妻から上の娘の扱い方に困っているという相談があった。展開はやっ!(笑)

 

妻はこの本にあるような声かけの仕方をその日のうちに試したらしい。そうしたところ、娘がご機嫌な状態になったらしい。ちなみに、上の娘は今4歳なのだが、普段は親からしたら、ホント訳の分からないタイミングや場面で泣き叫んだり、何を言っても「イヤッ!」としか言わず30分もその場に立ちっぱなしだったり、ちょっと大変なのだ。

 

僕は休みの日にしかそういう場面を観ないけど、妻はそれがほぼ毎日なので、かなりのストレスらしい。

 

「この本読んでみたけど、やっぱり私の接し方が悪かったのかな?」

 

妻は自分を責めているようだ。だから僕は伝えた。「母親として良いも悪いもないでしょ。母親であること自体がすでに完全な状態なんだから。それだけで十分だよ。」「でも、娘があんな、こちらには理解不能な態度を取って、母親に甘えるのは、何かを求めているサインだとは思う。」

 

「じゃあ、やっぱり私に何かが足りないってことじゃない?」

 

妻はやはり自分の母親としての責任や在り方に問題があると感じているようだ。

 

僕は自分の考えを述べた。

 

「娘が何かを母親に求める時って、別に母親に何かが足りないからとは限らないよ。」「娘はたぶん外づらと内づらを変えてるんだと思う。そう思わない?家に居る時と外では全然違うじゃん?」

 

「うん、そう。それはそう思う。」

 

「3月末生まれの早生まれだし、幼稚園では頑張って皆に付いていこうとして、頑張っている外づらがあるんじゃないかな。」

 

妻は思い出すように答える。

 

「そうかあ。だから幼稚園に行く時と、帰ってきてから時間帯が一番大変なのかも。」

 

僕は違う例を出して考えを更に説明する。

 

「たぶん僕の親のところに行った時も同じ感じだよね。外づらで頑張るでしょ?家に居る時と全然違うじゃん。」「たぶんね、その切り替えが自分の中でどうしたら良いのかわからないんじゃないかな。」「いつもの自分を出して遊びたいけど、まだ外づらタイムが微妙に続いていて、いつもの自分が出せない。どう自分を出してよいか分からない葛藤みたいな部分が、僕らには分かりにくい甘えや泣き叫びになってるのかもね。」

 

妻は思い出しながら頷く。

 

「あー、そういう風に考えたことなかったけど、確かにそうだね。」

 

僕自身、この本をきっかけに娘の人格や性格や物の考え方を考えるきっかけになった。妻が同じように本を手に取ってくれたおかげで、こういう話ができた。妻は自分を責める必要はないんだと気付いてくれたかな。

 

4歳でもすでに何かを感じて、自分の中でどうにかしようとしている。自分の性格もよくわからないし、葛藤の解決策も分からない4歳児。だから、一人の人間であることを認識すると同時に、まだ未熟な部分は掬い取ってサポートしてあげる。

 

子育ては一筋縄ではいかないけど。子を親が一方的に育てるわけじゃなく、育っていく子をそっとサポートする子育てでありたいなと今回強く思った。

 

でも、毎日こんな娘と接する妻もストレスフルなのは間違いない。でも、自分の子どもだから本当の意味でのストレスにはならずに済んでるのかもね。

 

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【読書】子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方

 

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方

 

 

昔、上の娘が生まれたばかりの時に一度読んだことのある本だが、上の娘が4歳になり再び手に取ってみた。まだ、生まれていない子供の将来を想像しながら読むのと、実際に本書に出てくるような言動をする娘を思い出しながらでは、本書への読む意欲がずいぶんと変わる。(笑)

 

僕自身、「子供も一人の人間として扱うべきだ。」という見方をしてきた。という高尚な見方を持っているにも関わらず、娘の言動に怒ったりイライラしたりする自分がいて、この持て余し気味の自分をどうした良いのかいつも困る。

 

職場でもそうだが、他人の気持ちを汲むとか、こちらの言いたいことを伝え実行してもらう、という対人関係は複雑で難しい。子供に限った話ではない。

 

この本でも、子供を一人の人間として扱うことを前提に置きながら、子供自身の気づきや事実に基づいた親の子供への接し方など、子供に限らず対人コミュニケーションにおいて重要なアイディアがたくさん詰まっている。

 

本の中で演習があるのはすごく苦手で読み飛ばしてしまうことが多いのだが、今回は余裕があればいくつかやってみた。やはり親側の考え方の切り替えや、行動の切り替え(ここではどんな言葉をどう話すか)がポイントになる。

 

子供をどう育てるか?という視点だと、方向が親から子供だが、子供とどう一緒に成長するか?という視点で、この本を読むと一緒の方向を向いてお互いが育つことができるなと思わせてくれる本だった。

 

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【仏教】ぶれてこそ人生って考え方もある 大愚和尚動画より


未来を変える「言葉の使い方」

 

確かに言葉の使い方って大事だ。

 

「野心」を「志」に変える。「我武者羅」を「精進」に変える。おー、だいぶ印象変わるな。「志に向かって精進する。」だと、なんだか仏教っぽい。(笑)

 

まあ、その志って何だろう?ってのが多くの人が悩むところなんだと思う。果たして見つけるべきものなのか?それとも自然と見つかるものなのか?

 

例えば、僕は今部署の責任者をしているが、そんな仕事をするつもりは露ほどもなかった。だが、今はキャリアの中心として、マネジメントなどを中心に今後のキャリアを考えている。いわゆるそんなこと考えたこともなかった「志」に向かって精進している。

 

それまでは志なんてなかった。そして、それはそれで幸せだったけどな。

 

置かれた状況によって人は変わる。人が変わればまた状況も変わる。相互作用的に物事は変わっていくわけで、志への精進そのものがそんなに大事だとは思わない。

 

けれど、和尚が最後に示唆していた、「中庸という中心線をもって」という部分には、なるほどーと思った。確かにどんな方向にも偏らない中心を持っておくことはすごく大事なことだな。でも、それには極をしらなきゃ気づけないよね。

 

ブッダだってそうだったじゃん。中庸を見つけるまでにどれほどの修行をしたか。

 

結局、僕らはぶれるし偏るし志だって簡単に変わる。精進だって続かない。そんなもんなんだと思っていればいいのじゃないか。そういう一種の諦めみたいなものも、一つの仏教的発想としありじゃないのかな。

 

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【読書】無印良品は、仕組みが9割

 

 マニュアル作りは何度か経験があるが、手間がかかって大変な割にみんな読まない。読まれないのが分かるから、無駄な労力と感じ、更新しなくなる。

 

たぶん中小企業にお勤めの方は、同じ経験されているはず。そのマニュアルをもって、仕組み作りと言われても、まあ無印さんレベルだからできるんでしょうねと思ってしまう。

 

いや企業の大きさの問題じゃないのかもしれない。著者のような仕組みやマニュアル作りの意義を、きちんと体系化できる経営者の存在の有無だけの話なのかもしれない。

 

ちなみに僕の部署は前の責任者時代に、マニュアル作りをした。その後、担当者もおらずほったらかしだったが、僕が責任者になってからちょこちょこ修正している。

 

しかし、問題はいくつもある。一つは修正にもなかなか時間を作れないということ。そしてマニュアルを変更している間に業務がどんどん変わること。そしてそんなこんなで更新が追い付かず、古いマニュアルとなり結局誰も参照しないこと。

 

問題というか、致命的。マニュアルの意義なし!(笑)

 

マニュアル作りが一つの仕事になったら、マニュアル作りのためのマニュアル作りが必要になるみたいな、一つのジョークになりそうだ。なので、うちではマニュアルにはもう期待を持っていない。(データとしてはあるし、たまに直しているけど)

 

もちろん基準になるものは必要なんで、業務基準書は作って、今はそちらをメインにし、教育制度の中で細かい方法を伝える方法にしている。

 

社内LANさえうまく使えてないうちには、なかなか仕組み作りは難しい問題だ。これが中小病院の実態なのか、うちだけなのか。別にそれを知ったところで、現実は目の前に広がっているのだから、その中でどうするか考えるしかないね。

 

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【仏教】人生において師匠と呼べる人がいる人なんてそんないる? 大愚和尚動画より


プロとアマチュアを分ける3つの決定的な違い

 

「正師(しょうし)を得ずんば、学ばざるに如かず」

 

自分にとっての正師って誰か。パッと出てこないので、動画を観ながらなんか若干の劣等感を感じた。和尚どうしてくれる?(笑)実際、リアルな世界に僕にとってこの人という正師は居ない。ただ、人生を振り返った時に、ああ、あの人に憧れてたなとか、学ぶこと多かったなというのはある。

 

それを正師と言わせてもらえるなら、結構いるかもなと思いを巡らせた。

 

20台後半までは生意気な野郎で、何でもできちゃうぞ的な自信があった。単独で海外に留学し、TOEIC900点台を取ったという大したことのない根拠で。帰国してもしばらくは自分が日本人であるという感覚も薄くて、勉強会のような大きな会でも臆せずしてアホみたいな質問をしていた。向こうではそういうのアホとは思われないから。

 

しかし、その後日本の一般企業に就職。新規事業の立ち上げ部署に配属された。それからの数年で、自信を木っ端微塵に砕かれた。英語ができること、日本人らしくないことなんて自信の根拠には全くならなかった。

 

周囲の恐ろしく仕事のできる先輩や上司に、ただただついていこうともがいたあの時期の先輩や上司は、ある意味いまの僕の実務能力を育てた正師だと言える。

 

今の専門職についてからの正師は残念ながらいない。しかし、いつも目の前には患者さんや利用者さんやそのご家族がいる。彼らが僕らに専門技術や知識を与えてくれるわけではないが、彼らの状態がそのまま自分の実力でもある。

 

本当に患者さんや利用者さんに効果を出せるようになるには、学び続けなければならない。そう考えると、医療従事者である今の自分にとっては、これまで正師は患者さんや利用者さん、そしてその家族であったのだろう。今は、どちらかというスタッフの管理であるから、スタッフが正師とも言える。

 

それ以外で言うと、Eckhart Tolle氏との著作との出会いは確実に僕の人生を変えた。彼の著作自体の影響もあるけれど、そこから派生する形で仏教老荘思想に影響を受けたという意味ではEckhart Tolle氏は正師だろう。

 

おっと自分の話をしすぎた。あ、加えておくと青山繁晴氏も正師だ。

 

ただし、僕にとっての正師は、後から思い出したらそうかもしれないというレベルで、現時点であるリアルな人物の手を引いてきて、「この人が正師です。」という人はいない。

 

でもね、それでいいと思う。

 

正師をリアルな人物に限定しないでいいと思う。じゃないと、正師がいないなんて人の方が世の中多いし、正師が居なければ本当の学びにならないとか、プロにはなれないなんて、そんな残酷な話ないよ。

 

そう考えると、正師は至るところにいるということなのだから、そう思っておけばいい。それだけで、何かが学べるチャンスが無限にあるのだから。

 

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【コト】庭にブランコ 完全完成!春の庭もちょびっと紹介

ブランコ完全完成。今、朝からブランコに乗って、コーヒー片手にこの文章の下書きしてる。最初は渋っていたくせに、結局、自分も使ってる。(笑)

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完成したブランコだけではつまらないので、最近の庭の様子を紹介。ブランコの脇には、妻が娘と頑張って育ててきたイチゴがあるんだけど、なんと実をつけてる。実をつけているとは聞いていたけど、初めて確認した。

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家でイチゴ狩りできるじゃん!

 

洗濯物を干す部分のグランドカバーにはクローバーを植えているのだけど、ちょうどいい季節で花をたくさん咲かせている。奥の彩ある寄せ植えと合わせて、いい雰囲気出しているかな。 クローバーは結構強くてどんどん増える割には、さほど大きく広がらないので管理はしやすい。

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 ブランコの脇には妻が管理するミニ菜園。ミニ大根やらサヤエンドウ、それからブロッコリーも作っている。ブロッコリーは結構うまくいって、すでに食卓に何度か出てきている。サニーレタスも追加されているのに今日気づいた。

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小さな子供育てながら、休みの日にちょこちょこ手を入れて3年。だいぶ庭らしくなってきたなあ。後は、エアコンの室外機とその横にあるゴミ箱のあたりをもう少し整理したいなと思ってる。でも、焦らずに。

 

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【仏教】動画の内容とは関係ないけれど 大愚和尚動画より


モノの見方を変えて今ある幸せに気付く方法

 

動画の内容とは全く関係ない話をする。

 

大愚さんの動画タイトルって、いわゆる「ブログで読まれるタイトルの付け方3つのコツ」という感じの、かなりネットでクリックされるコトを意識したタイトルだ。

 

確かにそうしたタイトルには惹かれる。こうしたタイトルの付け方には、人の心の弱さというか弱点がうまく利用されてるんだよね。

 

「えっ?それ解決する方法あるの!?」「えっ、?3つでいいの?」って、無意識にも思うだろうし、メタ認知が発達した人なら意識的にも気づいてるでしょ?

 

その辺が、仏教を語りながら、仏教らしくないアプローチを取る大愚さんの戦略。でも、動画に出てくる仏教用語やそこから相談者の悩みに答えていく過程はすごいし、そうした戦略を取る大愚さんをある意味すげー仏教者だなと思う。

 

そもそも、僕自身が死なずに生きていられるのは仏教のおかげかもとさえ思うので、大愚和尚がどんな戦略を取ろうが、同じように生き行こうとする糧として動画が活用されるのは素晴らしいこと。

 

ただ、話の内容的には、南和尚の方が哲学的で気持ちいいくらい知的好奇心を刺激するので、たぶん南和尚の話に心地よさを感じる人は、大愚和尚の動画を見る人少ないんじゃないかな。

 

ちなみに僕は仏教だったらなんでも来いって感じで、南和尚も大愚和尚も好きで動画を音声にして、通勤途中に聞く。

 

そこで南和尚と大愚和尚の違いをすこく感じる。ネット戦略的なところはさておき、根本的な違いとして仏教概念の深堀り度合いはやっぱりかなり違うように感じる。

 

大愚和尚は相談者に寄り添う形で、比較的表面的な部分の仏教を語る事が多い。良い面としては、仏教への入り口としての役割があるだろう。でも、実生活ベースなので、相談者も聞いている人も、もしかしたら仏教の本質的な部分には思いを馳せるチャンスはないかもしれない。

 

それに対して南和尚の動画は、かなり本質的な部分にぐいっと立ち入ってくる。差し込んでくる。もちろん、お寺で実際の相談を受けた時には、そんな言い方はしないのだろうけど、動画ではかなり本質を論理的についてくる。

 

だから本質を知りたかった人間は、本質を理解できれば、それをベースに実生活への応用がきく。ただし、ある程度仏教的発想のベースのない人には、実生活との接点を見つけ出すのはなかなか困難かもしれない。

 

いやまあ、比べてどちらが良い悪いを判断する訳ではないけれど、大愚和尚の動画のタイトルは、下手すれば仏教の本質を見誤らせる側面も持ってるんじゃないかなぁと思ったのがこの文章を書くきっかけ。だって、あまりにも俗っぽいタイトルが多いからさ...

 

だからこそ、僕は大愚和尚の動画にはできるだけ批判的でいたいと思うんだよね。それが僕にとっては大愚和尚の動画の存在意義で、逆に仏教を学ぶということにもつながるから。大体、相談者の問題点を抽出して、それに対して処方を出すなんて、発想自体が仏教的ではないと思うし。

 

大愚和尚の動画が最近実はあまり面白くないと感じている。

 

この世に正しさなんてないんだから、処方箋もさほど真剣に聞いてはいないんだけど、それにしても、なんだか仏教用語を出す割には、回答がそこから少しずれたところに向かっている感じがする。

 

僕みたいな仏教素人が口を出す幕ではないけれど、もう少し「仏教」らしい話が聞けたらなあと思うのは、僕の錯覚だろうか。

 

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